回転舞台

回る舞台で恋をした song by Ataru Nakamura

10ks!コンを観てKAT-TUNファンとして気合を入れ直した私の決意を記す

KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY TOUR “10Ks!”は、すごいライブだった。

とにもかくにもすごいライブだった。

 

あまりにもすごくて、2006年の赤西仁語学留学発表以来KAT-TUNファンとしてなんというかふわっとモヤモヤした状態だった私は、KAT-TUNという夢みたいな現実にぶん殴られたような気分になり、意識を取り戻した。

KAT-TUNは5/1から充電期間となったけれども、私は4/3の1発ですっかりファンとして満充電になった。単純だ。

今まで以上に、いやもしかしたらこれまでで一番KAT-TUNが好きかもしれない。

というか今のKAT-TUNがもしかして一番かっこいいかも。

こんな気持ちになれたことがとても嬉しいので、ここにこれまでKAT-TUNに感じた何もかもを書こうと思う。

すごく長くて重くて気持ち悪いし感情に任せた懐古がうざったい文章になると思う。

でも今のタイミングで全部吐き出して、憑き物を落として、オラKAT-TUNファンとして生まれ変わるんだ...!

 

KAT-TUNとライブ

考えてみると、私にとってKAT-TUNは昔から「好きすぎてよく見えない」存在だったと思う。

デビュー前なんかは特に一般評が分からないから現況が見えず、いわゆる“ごく出”を例に漏れず「おっそいわー」と思っていたし、

いざライブに行けば好きすぎて瞳孔開きっぱなしなのか、正直発光体にしか見えていなかった。
とくに自担。

 

KAT-TUNのライブを見た後の感想はいつも、

 

すごかった

楽しかった

かっこよかった

かわいかった

最高だった

次のライブ早く!!!!!!

 

根本的にはこれだけだったように思う。

 

そしてそれだけをシンプルに感じられたのは、もしかして今回の10ks!が......女王コン以来?かもしれない。

だってもう、仁はいないんだなとか、聖やめたんだなとかああラップの部分は歌わずいくのねとか、田口泣いてない...?とかそういうの思わなくていいんだもの。

それについては後で考えることにしよう。

 

10ks!のすごさは、端的に言えば ドームを3人で埋めた という部分だ。

チケットどうこうというよりは、空間の話。

 

KAT-TUNと客席は、まあいつものことっちゃいつものことだが、オープニングから初めのMCまで、休みなく楽曲が襲い来るようなセットリストによって脳内麻薬漬けのようになっていたと思う。

そこに今回は、これまでの楽曲を3人でパート割して歌う姿、そのチャレンジングさから来る気迫みたいなものがあった。

私は初日とオーラスしか入れなかったけど、その2回で比べるなら、そこに関してはやはり初日が圧巻だった。

客席はそんなKAT-TUNの一挙手一投足を見逃すまいとしていたと思うし、 

歌割が増えて大変なはずの3人も、なんだか客席の一人一人を見つめて語りかけているかのようだった。

 

この不思議な一体感、というより双方交信しあってる感、

これぞライブの醍醐味、すなわちPJ生まれライブ育ちのKAT-TUNらしさというものだと思う。

“コンサート”でなく“ライブ”と昔からプライド高く自称していたあたりもまた愛おしい。

KAT-TUNのライブは、客席がみんなで踊るとか、毎回決まったコール&レスポンスが必ずあるとか、そういうお決まりが少ない。

けれども、KAT-TUNのメンバーが歌ったり踊ったり笑わせたり、あるいはただそこに立ったりするだけで、ファンは悲鳴を上げ、その悲鳴でメンバーはさらに生き生きとパフォーマンスをする。

それがKAT-TUNライブのコール&レスポンスだ。

 

◇初日の不安とライブの思い出

なんだか不安で仕方なかった初日ナゴヤドーム

3人がどんな顔してるかわからなかったし、だから私もどんな顔していいかわからなかった。

当たり前のようだけどやっぱりKAT-TUNもアイドルだなあって思うのはこういうときだ。

笑顔が見たい。

ギラギラの衣裳でかっこいいパフォーマンスをするところが見たいけど、

まずは何より笑顔でいてくれなくちゃ。

 

思えばここ数年、いつも何かしらKAT-TUN特に亀梨和也の顔色を伺っていた気がする。

 

2009年夏、KAT-TUNが初めて地元新潟にやって来た。

会場はもちろん、あの朱鷺メッセである。

朱鷺メッセは当時すでに何回もジャニコンをやっていて、定番の箱だったはずだ。

それでも私は不安だった。

だって朱鷺メッセは「松潤が『シャワーがない』って言ったのが地元民としてなんかすごくショックだった会場」だったから...。*1

今では笑い話だけど、嵐にイマイチな所だと思われた、と田舎の中学生はちょっとショックを受けた。

 

だからなんだかトラウマみたいなものがあって、

とにかく盛り上がらないと、また来てねって伝えないと、

もう来てもらえないんじゃないかと、マジで必死にそんなことを思っていた。

今思うと鬼が笑いそう。自分がもどかしい今だけを見て生きていればいいのにね...

 

そしたらライブの途中、マジックショーが盛り上がらず亀梨くんがわりとキレるという事件発生。*2

ごめんよタイミングのあれだったんだよかめちゃん。

君のことが嫌いだとか盛り下がったつまんねー会場だとかそういうのじゃないんだよ。

お願いだからヘソ曲げないでよ。

 

昼公演で亀梨和也の気まぐれな王様モードをくらった私と友人の放心ぷりといったらなかった。

これがほんとの「声出さなきゃ命はねーからな」だ。

放心→反省のステップを踏んだ私たちは、次はあの場所で絶対盛り上がろう、いやそれ以外もとにかく声を出そう、

みんながKAT-TUNを待っていると、盛り上がっていると証明しよう、などと熱くなっていた。

案の定、その後の夜公演、肝心の箇所の盛り上がりがどうだったかは覚えていない。

興奮状態でふわふわしたまま家に帰って料理をして包丁で手を切ったことは覚えてる。

「中丸くんのお母さん新潟出身なんだって!!初めて聞いたよ!!!」と母にまくしたてながら。

切ったのは親指の付け根の内側。どうやったらそんなとこ切れるの...?

 

これまでそうそう全ステや多ステは出来なかったけど、

このことがあったから私はいつもKAT-TUNのライブでは言い方アレだけどサクラみたいに盛り上がろうと必死だった。

でもたまたまこの時私が被弾しただけで、昔、特にデビュー前のライブはこんなん多かったと思う。

 

亀梨和也

亀梨和也というやつは俺様で、気まぐれで、天邪鬼だった。

以前ライブ中に言ってた盛り上がらないんなら俺たち帰るよとか出ないよとか、

他のメンバー、特に聖なんかは冗談というかパフォーマンスで分かってやっていたと思うけど、

かめちゃんに関してはマジで気分を害していらっしゃいません...?ってことがよくあったんだと思う。

今ではすっかりハンサムになって、物分かりの良い人格者みたいな顔してコメントしたり、堂々と後輩に「フリとオチ」を指南したりしてるけど、

私が出会ったころのヤツは、ほっそくて肌しっろくて目もほっそくて、写真に撮られ慣れてなく(だからか素敵な写真はいつもすごく印象に残った)、

かすれたおかしな声でそれなのにおしゃべりで、他人にうるさそうだし、オチの良く分からない話はするし、

でもどうしてだか人を惹き付ける、不思議な男の子だった。

 

私はかめちゃんを雑誌で見つけて一目惚れをした。

WinkUPの2001年2月号、聖との2ショットだけれども、それ以前にも雑誌で見ているはずなので

この写真にやられたんだと思う。

全くわたしは肝心の写真を切り抜いてどこにしまったんだろう...。

リスがエサを大事に大事に隠して見つけられなくなるパターン...

 

ともかく雑誌の写真で好きになったけど、その後特にダンスというか、パフォーマンス、ステージ上での立ち居振る舞いに惚れ込んだ。

当時はとにかく好みのタイプどストライク、ただただかっこいい好き!!!!!!と思っていたけれど、今改めて見たり考えたりするに、当時の亀梨和也の魅力は動物的なその姿だったんじゃないかと思う。

気まぐれな猫っぽくもあり、ハングリーなチーターみたいなときもあり、機嫌のいい犬かお前は、って顔をすることもあるし、そうかと思えば敵を射すくめる蛇のようでもあった。

いい年になって見る少年時代の彼の姿は、少年としてあまりにまっとうで眩しい。

生真面目で、それゆえ反抗的で、もろいようでいてしなやかだ。

 

よく仁と比べられて、仁みたいに背が高くなく、仁みたいに歌が上手くなく、仁ほどに人気が無いと言われても、そんなことは意に介さず亀梨和也に夢中だった。

好きで好きで、でも何か足りないのが生意気にも分かるような気がして、歯がゆいこともあった。

ライブ中、6つに分かれたステージの1か所だけただの一度も立ち止まらなかったり、自分のうちわをあえて無視して仁のうちわに手を振ったり、せっかくトロッコに乗ったのに片側だけ向いていたり。

お手振りが欲しいとかでなく、そういうサービス精神が欠けて幼く見える振る舞いが、アイドルとしての評価を下げるんじゃないかと心配していた。

「中居くんの360度お手振りを見習いなさいよ!」と言いたくなったものだった。

けれども最近「ライブ中のパフォーマンスはその場その場で自然とやってしまう」と彼が発言しているのを聞くと、たくさんライブをやってその時その時で感じたままに振る舞っていたものが、今のライブ感に繋がっているんだなあと思う。

 

私がKAT-TUNの好きなのは、コンサートを発表会に見せないところ。

裏にあるリハーサルを感じさせないところ。

練習したものを今披露いたしました、ではなくて、メンバーもみんなぶっ飛んじゃって半狂乱になってて、段取りがなんだ客席の盛り上がり次第でなんだってやるぞ!って見えるところ。

10ks!初日に嬉しくそして頼もしく感じたのは、その心地良いライブ感と、客席のどのブロックにも疎外感を感じさせないKAT-TUNの姿だった。

これまでその2つはなかなか両立出来るものではないだろうと思っていた。

だからこそ感慨深く、嬉しく、そして何より楽しかった。

3人しかいなかったとは思えないあの満足感は、演出の部分もパフォーマンスの部分も、それぞれがスキルアップして力を付けた結果じゃなかっただろうか。

 

かめちゃんの特筆すべきは歌唱力の向上だろう。

Mステの『君のユメ ぼくのユメ』きっかけで歌を褒めてくれた人もいると聞いてニヤニヤしちゃう。

ドリボの『挑戦者』なんかも思い出すような歌い上げロックがハマってた。

中丸くんも好きだと言ってた、ちょっとがなるような調子、いつのまにかすごくかっこよくなってたよね。

かめちゃんは特に歌に関してはコンプレックスがあっただろう。

歌だけじゃないと思うけど。

でもだからこそ明確な理想があって、それに近づけるために努力したから今の姿があるのだね。

青い種子でも幅広いキーや曲調のものを歌っていたし、ある程度声を自在に操れるようになって、自分のやりたい形に喉と技術が付いてくるようになったんだ。

 

上田竜也と中丸雄一

私はたまたま好きになった亀梨くんがKAT-TUNというグループを結成したから、KAT-TUNファンになった。

当時珍しく仁にあまり興味のない亀梨担で、掲示板やなんかで亀担だと名乗ると必ず「じゃあ仁も好きだよね」と言われるのが不思議だった。懐かしい。

仁には嫉妬こそすれど(裸の少年の頃なんか)、KAT-TUNのメンバーのことはみんな好きで、みんなかわいくてかっこいいと誇らしかった。

でも、たっちゃんと中丸のパフォーマンスをこれだけ濃密に享受できるようになったのは最近のことだ。

 

たっちゃんといえばやっぱり、ガクトのまねっこしてて錦戸の亮ちゃんに「何になりたいんですか?」って言われてたあの頃を思い出す。

笑うとかわいいのにシャイで、言葉少なで、でも熱くて、なんかこう火の玉みたいだった。

ポンって燃えるけど掴みどころがないみたいな。

そんでなんかかめちゃんと似ていた。

「似てるから喧嘩すんだろうなこの2人」っていう感じ。

信念が強いのに人付き合いが不器用そうなところとか、だからか信頼してる人に向ける顔がぽやっとしてるところとか。

たっちゃんに比べるとかめちゃんは頑固で、かめちゃんに比べるとたっちゃんは繊細だったような印象がある。

 

中丸くんに関しては、言葉を選ばずに言うなら仁と聖の腰巾着のイメージ。

いや腰巾着はヒドイな...

そこまでじゃないけど、自分から何か発信して笑いを取るよりは、誰かが言ったことを「いぇーい!」って盛り上げてるイメージ。

 KAT-TUNが集まってなんだか楽しそうにしてるときは、いつもその中心にいた。

よく言われることだけど、KAT-TUNの男子校っぽさだとか学校の昼休みっぽさを感じさせるワチャワチャワチャワチャしたアレは、主にこの人によるもの。

 

そんなイメージだった二人も、わたしがモヤモヤうじうじしている間にたくさん成長していた。

rose81.hatenablog.com

 

この記事は何回繰り返して読んでも飽きない。

たっちゃんに関しちゃ私はchainコン出みたいなもんだ。

坊主にしたときは相当驚いたけど、笑顔がよく見えてキュートですがすがしかったし、その後の黒髪短髪から現在にかけてのビジュアル好きすぎてしにそう。

シャイで不器用だと思っていたたっちゃんが、10ks!では誰よりも力強い挨拶を初日からしていた。

それぞれのソロ仕事を、それぞれのファン以外も応援してください、という、分かりやすくてすとんと胸に落ちる言葉だった。

あの挨拶があったから、私は涙するどころか闘志を燃やしてナゴヤドームを後にすることが出来たように思う。

 

中丸氏は今では言わずと知れたKAT-TUNの頭脳だ。

誰かを楽しませる才能に長けていて、それでいてKとUに負けず劣らず理想の高い人だ。

そして大事なこと。生で見るとすげーエロい。あれを知らない人は損してる。

良く言えばバランサー、悪く言えば誰かの顔を伺いがちだったKAT-TUN最年長は、

オーラスで誰より理知的な挨拶をしたかと思ったら、誰より早く顔を歪めて泣いた。

私の大好きな亀梨和也は、そんな中丸雄一の頭をくしゃくしゃと撫で、一人段取り通りにハケようとする彼の腕を引っ張って、3人で行こうと促した。

涙の止まらない中丸を見て、上田竜也が「見ろよコイツ」と言うように、客席を一度見た後中丸を指差した。

何とも言えない瞬間だった。

 

...ほらここにKAT-TUNの良さがすべて詰まってる!すごい!!!!!!

淡々と喋ってるように見えたのに泣いちゃった中丸。

決まった演出よりその時の心の動きを優先したかめ。

それらを自分たちだけで完結させることなく客席も巻き込んでくれたたっちゃん。

不本意ながらもGAPだらけで、ライブの勘がよくて、いつもファンの求めるものをとこちらを向いて考えてくれる姿。

これが愛するKAT-TUNだ。

 

KAT-TUNという大河の流れを見つめる

初日を迎えるまでは、とにかくこんな辛く悲しい気持ちにはなりたくなかったと思っていた。

冒頭に書いた通り、私は仁の留学発表以来KAT-TUNを真剣に見つめることが出来なくなっていた。

戻ってきたときは嬉しかったけど、一度心の離れた人と一緒にやるというのは大変だろうなと思ったし、ざわざわした気持ちはそのままだった。

あんなにKAT-TUN漬けの生活をしていたのに、いつからか辛いからと目をそらすようになった。

買っても見ていないDVD、1度見たきりのテレビ番組、なんていうものが出現するようになった。

 

その後仁がソロ活動を始め、KAT-TUNを辞め、事務所を辞めたときも、

その時その時で辛かったけど、どこかで「やっぱりな」みたいなところがあった。

聖が辞めたときはさすがにショックだった。

何が聞こえてきても聖のことは信じていたから。

わけが分からなくて、何も言えなくて、だんだんと怒りがこみ上げた。

私を苦しめるKAT-TUNなんてなくなってしまえと、子供じみたことをわりとマジで思った。

今の状態でKAT-TUNを名乗る意味って何?

壊れかけなら一度全部壊してしまえ。

今ではこんな風に思ったことすらなんかもう辛い。

自分の言葉が言霊になるようで怯えてしまう。

でも仕方ない、それまで向き合ってこなかったツケだった。

 

そして今度は田口がいなくなった。

友人がLINEで「4人でよかったのに」と言った。

確かに、4人のKAT-TUNはすごく“納まっている”ような感じがした。

でも結局、それじゃいけなかった。

 

そしてベストアルバムの発売と、ライブの開催と、それから充電期間に入ることが発表された。

「充電期間」という言葉の選び方から、何となく、前向きなものなんだろうなとは思った。

けれども受け入れられない、というか、KAT-TUNのいない世界というものが想像がつかず不安だった。

仁がいなくなって、聖がいなくなって、田口がいなくなっても、私の好きなKAT-TUNはただそこに存在し、シングルが出たりアルバムが出たりして、やれこれが好きだのこれが嫌いだの言えて、衣装がかっこいいだのダサいだの振り付けがかっこいいだのダサいだの言えるんだと信じたかった。

 

だからKAT-TUNのこれまでと今後については、たぶんこの時初めてまともに考えたと思う。

5人になったときは「留学までした仁がそのまま戻るなんてやっぱりありえないことだった」と、

4人になったときは「聖はそういう噂あったししょうがないね。4人で爽やか路線でも行くのかね」なんて、分かったふりをしていたから、その分も辛かった。自業自得だ。

 

けれども、仁の時、聖の時のKAT-TUNが立ち止まれず前へ前へと進んでしまったのはもうどうしようもないことだったように思う。

仁がいなくてもやれる、聖がいなくてもやれる、楽しませられると突き進んだKAT-TUNを責められない。

良い大人がその頃周りにいたらな、とは思うけれど、デビューしたての頃そういう人たちを排除したのも彼らだから、まあなんていうかやっぱり、巡り巡ってこうなったんだ。

 

それに、その止まらない姿がヒリヒリしたかっこよさを生んでいたのは事実だ。

初めから素直でなんだって自然と上手くいくような人たちなら、あんなにかっこよくなかったかもしれない。

確かにKAT-TUNは色々あったけれど、その時々でいつも、いろんな形のかっこよさがあった。

 

◇青春と成長と

認めたくなかったことを今初めて言葉にする。

カメ、仁、田口、聖、たっちゃん、中丸のKAT-TUNは私の青春だった。

こんな風に言うと、幸せだった6人の時代が過去のものとなったことを完全に認めるようで辛かった。

でも確かに仁も、聖も、田口ももういないし、私はもう子供ではない。

6人どころか5人の時代だって終わったし4人ですらもうないんだ。

今のKAT-TUNは3人、当初の半分。

こんな当たり前の現実を、10ks!のおかげでようやく飲み込むことが出来た。

それに身も蓋も無いことを言うなら、半分という数字はあまりにツッコミにくく、感傷に浸りにくかった。

1人いないとか2人いないとかでなく、半分なんだもの。

あれがないとかさみしいとかそういう次元ではもはやない。

私は名古屋初日、いちいち過去と比べるのを感覚的に止めていた。

 

初日、一番印象的だったのはなぜかネバアゲ。

3人ともすごくすごくセクシーで物憂げで大人でなんかもう最高だった。

ネバアゲを初めて見たときは「こんなに大人っぽい曲を歌っちゃうKAT-TUN超かっこいい!」って思っていたけど、

こんな名曲をあんな子供時代のまま止めてしまうことになってたら最悪だったなって思った。

すごく素敵に変化した3人を体感出来た。これほど幸せなことはない。

 

KAT-TUNファンをしていて、なんでこんなにも辛いんだろうと思ったこともあった。

けれども根本的にはやっぱり幸せだと思う。

私は学生の時期をジャニオタとしてKAT-TUNファンとして過ごした。

まあ客観的に見るとどうかと思うけれども、あのかっこよくてかわいくって危なっかしくて最強だった6人の男の子達を楽しみに追いかけられた日々は、何かと替えられるようなものではない。

それだけ貴重な体験をさせてくれた人たちが、今度は素敵な大人になっていく姿を見せてくれるのだ。

 

日本の芸能界ってやつはおかしな世界だ。

そんな中でも特におかしいジャニーズ事務所に身を置くと決めた3人は、きっとこれからもぶつかったり窮屈さを感じたりしながら、戦いながら進んでいくのだろう。

超イケメンな3人が、こんな特異な職業を選んで人生を歩んでいる。

その興味深さったらない。目を離している場合ではない。

 

KAT-TUNの3人は、もう表面的な「KAT-TUNらしい」というような言葉に囚われることはないだろう。

今の3人は、もうそんな次元にいない。

3人それぞれが理想を追い求め邁進すれば、その姿がKAT-TUNらしさだ。

そしてその歩いた道が、また新たなKAT-TUN像になる。

その過程を、結果を、私たちに見せてほしい。

世界中の人を魅了し続けてほしい。

 

◇それぞれの戦法

...長くなった。ほんとにほんとに長くなった。

ともかくこのように感じた私は、KAT-TUNファンを名乗りながらも腑抜けまくっていたこの10年弱(これまた長いな...)を反省し、どんなことがあろうともこの人たちの生き様を見届けると心に決めた。

特にたっちゃんが「一緒に戦ってください」と言ったときはっとした。

充電期間の間にKAT-TUNの戻る場所が無かったとしたら、それは我々ファンのせいだ。

思い上がりを許してもらうならばアイドルとファンってやっぱり運命共同体みたいなところがあるなって。

だって需要がなければ居場所がないのだから。

私はハイフンと自称するのは恥ずかしいので好きじゃないけど、“KAT-TUNの真ん中にいて、俺達を繋ぎとめるもの”みたいなこと言われちゃうと「良く出来てますね~」って思う。

We are KAT-TUN!ともこれまで何度も言ったし、たっちゃんにも共に戦えと言われたし、ここはやっぱり充電期間は自分をKAT-TUNだと思うぐらいの熱量で過ごさねば...!もう傍観者でいるのは嫌なんだ。

 

オーラスの挨拶で中丸くんが「ファンコミュニティが薄れてしまうのを心配している」と話した。

確かにアイドルとファンが呼応する場が無くなって、それぞれ生存確認が出来なくなるのは怖いことだ。

私はこの発言の具体性にとっても救われた。なんて頼もしいんでしょうゆっちったら。その後泣いちゃったけど。

実際にこんな形で動いてくれた。

KAT-TUNはみんな有言実行だぜ。どうだかっこいいだろ。

 

◇望み

長くなりついでにせっかくだからそれぞれの今後見たいことも書いておこうっと。

かめちゃん、ちょっとだけ物足りないので胸焼けするぐらいに俺亀梨!!な世界観を見せてください。ああでもWUみたいにナチュラルなのも好きだから選べないどうしよう好き

たっちゃんは踊るとかっこいいんだから今回みたいにもっともっと踊ってください。1回ダンスに特化したソロはいかがですか。

中丸くん、ボイトレしてすこーん!って狙って高音出せるようにしよ。でも低音も大好物だからそっちもどうぞそのままよろしく。

10ks!の何もかもに満足したけれど、やっぱりここをもっとああしてこうして...!と望みたい部分もちゃんとあった。

充電期間に入るからとしっとり終わるのかなと思っていたけど、やっぱりKAT-TUNのライブだ、「早く次を見せて!!!」と思えた。こんなに幸せなことはない。

 

◇最後に

最後になったけれど、KAT-TUNデビュー10周年おめでとう。節目のドームツアーを立派に成功させたこともおめでとう。誇りに思います。出会えて良かった。お祝いできて良かった。

いつになるかは分からないのだろうけれども、来るべきその時に戦いながら備えます。

いつの日か、グループとしての充電が完了したこと、そしてアルバムの発売とライブツアー日程が発表され、怒涛のメディア露出があり、期間中にそれぞれががっつり掴んだ新規ファンの方々によりライブはどこもチケ難。嬉しさとドキドキを抱えながらなんとかチケットを手に入れた私は、肌であなた方を感じられる喜びをまた得られたことに感動し、きっとまたこんな長文を書くでしょう。

その時はどうぞよろしく。

再出航のその日まで、背中は任せろ。

...言ってみたかったの!終わり!

 

 

〈追記〉2016.05.13
想定したよりたくさんの方にこの記事を見ていただいたみたいです。
“誰かに話した感”が欲しくて全体公開にしたとはいえびっくり。
どうにかまとまったー!とアップした記事だけれども、読み返すとむき出しの感情しかなく支離滅裂でちょっと引いてる。
KAT-TUNが誤解される面があるかなあと少し心配したけれども、
これまで「ないことないこと」書かれてきた人たちなので私の文章の一つや二つ案じるなど失礼な話だからそれはよしとしよう。
暑苦しいめんどくさそうなファン飼ってんな、ジャニオタきもちわる、っていう悪印象の方については否定できないごめん。

もらったリアクションを読んだり、記事を自分で改めて読み返したりして思ったことは、やっぱりどんどん過去になっていく「今」が一番大事ってこと。
どんなジャンルでも。

イベントや公演やなんかはもちろんそうですが、発信されている今の姿を今受け取って心を動かせるということがどんなに幸せか。だからメンバーが減ろうが、衣装や振り付けが見るに堪えないほどダサくて愛が揺らごうが目を離してはいけないのだ。

私の今回の記事に限らず、昔はこうだったよ~っていう話は古参自慢と思われて嫌がられたり、また最近ファンになった人を気遅れさせたりっていうことがあるようだけれども、
私からしたらデビュー後の10年間まっすぐにKAT-TUNを追いかけていた人や、最近ファンになったばかりの人の方がよっぽど羨ましい。
「共に戦ってくれ」の言葉に「ハァ?当たり前でしょ??」って返せた人や、
最近ファンになって見る映像聞くエピソード全て新しくて浴びるようにKAT-TUNを摂取出来てる人が今この瞬間地球上にいるかと思うとハンカチ噛みしめる。

これまで常に新しい姿を見せてくれているKAT-TUNですが(皮肉ではない)、私はもうKAT-TUNにはじめまして!と出会うことは経験出来ないもの。
私も「ジャニーズには興味なかったのにたまたま行ったライブで完落ちしまして...」みたいな体験してみたいよ。
会場で「コワモテな集団だと思ってたけどかわいいMCするんだ!萌え死ぬ!」とかなりたい。

過去何があったかは知ることが出来る。でも生きているその姿を愛することは今しか出来ないよ。
もちろん過去の特定の形を愛することも、それはそれで尊い一つの愛だとは思うけど。他人にその価値観を強要するようなことが無ければね。

充電期間に入らせてもらう、という、停止するのでなく現在進行形で力を貯めているという宣言は、今という瞬間の貴重さを教えてくれているようなもんだ。それに、ある程度仕方なくこの状況になった部分があったとしても、「大きくなって帰ってくる」という約束をしている責任の重さは変わらない。

目に見えるグループ活動は事実上休止であるとしても、KAT-TUNの今という時間は止まっていないんだ。

充電という健全な言い方をしているがこれは自らに呪縛をかけているのと同じですね。ほんっとどこまでプライドの高い人たちなんだ。

KAT-TUNとたくさんの今を共有してきた、そしてこれからも共有したがっている多種多様なファンがまたドームや様々な会場を埋め尽くすかと思うと本当に楽しみ。

 

チラシの裏にでも書いとけよ、ってな内容でしたが、公開にしてよかったなあと思いました。
こうしてまた考えることが出来るから。
twitterというのは新情報を食べて生きている私には本当に便利なツールではありますが、もともと浅い思考がさらに浅くなりがちだし、しかも他人の感じたことを自分が感じたことにすり替えてしまったりみたいなこともあるので...。
文章を書いて頭を働かせないとダメだな。
あとこれぐらいの熱量で自分の人生も考えてみた方がいい。

 

 

*1:嵐が初めて朱鷺メッセに来たのは2003年ごろだったろうか。朱鷺メッセが出来てすぐだったと思う。初めてのジャニーズどころか初めてのライブ使用だったかもしれない「地方都市のでかい会議場」だから、シャワーないわ使い勝手悪いわと言われてもそりゃしょうがない。今思えばむしろ朱鷺メッセは嵐に育ててもらったのかもしれない。

*2:ナマモノだとつきものの、一瞬の見せ方一つで会場がワーって言うタイミング逃すやつ。誰のせいでもない。しいて言うならかめちゃんの技術と客席の率直さのせい