花組『虞美人』を見てきたよー
というわけで久々に!
いやー楽しかった虞美人。
私の目にしたものだけですが前評判があまりよくなく、
たるーい一本物なのかなー困ったなーとか思いながら観に行ったわけですが、
いやはやスペクタクルでおもしろかった。
まあ花組さん太王四神記やったばっかりやーん、色分け運動会またやるんかーいとかそういうことは置いといて、
いい舞台だった。
このタイミングで見られたのもよかったかも。
とにかく舞台がキュッと引き締まって、なおかつ成熟していた。
・まとぶん(項羽)
かっこいいのうかっこいいのう!
とにかく一本気で直情的な項羽の気持ちに初めは戸惑った・・・みたいなことをどこかで話してたと思うんですが、
それを乗り越えまさしく求められた通りの役作りになってたんじゃないかと。
なぜかって、まとぶんの根っこにあるものがきちんと隠されていたから。
どんな役者にもキャラとかイメージとか性格とか、とにかく芯になる部分があって、
だけどそれがあるからこそ多種多様な人それぞれの役作りがあるわけで。
それがおもしろいんだけど、一人の人物、特に実際にいた人間を表現する場合に、
その人が本来持ってる部分が顔を出してしまうと、
どうしても説得力に欠けてしまう。
まとぶんの持ち味とか個性とかって、項羽にない(少なくとも今回の劇では描かれていない)部分で言えば器の大きさと柔軟さだと思うんですよね。
大げさな言い方をすれば、項羽なら黒を白だとは絶対に、例え虞に頼まれたとしても言わないけれど、
まとぶんは大切な何かのためなら、機転を利かせて黒を白だと言うこともできる。
そういうイメージ。
どちらもそれぞれの思うところにプライドのベクトルが向いているから、
どっちが男らしくないとか勇気がないとかそういうことではないんですよね。
・・・ってあくまで今回の舞台の項羽像とまとぶんの男役像の対比の話ですが。
そんなある種持ち味とは真逆とも言える男性像を、
しっかりとブレることなく作り上げたまとぶんあっぱれ。
特筆するなら目がよかったのかなー。
とにかく真っ直ぐで。
意識して視線を直線的に送ってたのかもしれません。
項羽の考えていることは、とにかく戦いのことと、それから虞のこと。
そういう目をしてました。
・彩音ちゃん(虞美人)
とにかくたおやか。そしてしとやか。それでいて愛らしい。
桜乃彩音の作り上げる、おそらく本人の目指したであろう娘役像のまさに集大成。という感じ。
一歩一歩から感じられる、娘役らしい押し付けがましくない貫禄がすごい。
鬘の一房一房から感じられる、隙の無い娘役スキルがすごい。
やはり重ねた年月はダテじゃないです。
そんでやっぱあやねちゃんは東洋物がいいっすなー。
金パで赤やピンクのワンピもいいけどさあ、
黒髪にエキゾチックな目元のお化粧ってのが最高に映える。
そしてね、いわゆる“寄り添い型”・“妹キャラ”の彼女には、
布一枚のうすーいドレスより、
きれいな布や紐をいくつもいくつも重ねたああいうお衣装が似合うと思うのです。
なんていうか・・・その保守的な姿に萌える!(言っちゃった)
高潔で簡単に触れられない感じ。
手に入らない感じ。
それがいい。
王陵はこんな気分だったのかなー。
違うか。手に入れたいとギリまで思ってたか。
フィナーレでのソロダンスはもちろん綺麗でしたが、
あやねちゃんの場合、やっぱりデュエットダンスの方が格段に輝く。
広げた手をどこまでも遠く遠く伸ばして自由に踊って欲しいタイプの人もいるけれど、
あやねちゃんが伸ばした手は相手役の手と結ばれたり、
相手役の肩に添えられたりすることで、より高次の力を発揮するのだ。
なんつって何が言いたいかっていうとまとあやのデュエダン最高。